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2/7(金)映画「眠る村」が浦和パルコで無料公開されます。

みんみん無駄話
眠る村
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名張毒ぶどう酒事件を追ったドキュメンタリー映画

こんばんは、みんみんです。以前より見てみたいと思っていた映画が(通える範囲で)事前予約不要の無料公開(←埼玉弁護士会のWebページにリンクします)されると知り、情報共有させていただきました。ミステリーマニアに注目されている事件は、世田谷一家殺人事件をはじめとして有名なものがいくつもあります。この名張毒ぶどう酒事件については、犯行手段がはっきりしているだけでなくちょっと目端の効くひとであればあっさりと真の犯人像にいきついてしまうため、ミステリーマニアの探求心をさほど惹きつけるものではありません。世の中的には「冤罪事件」の代名詞として知られる事件ですが、内容を知っている人は案外に少ないのだと思います。事件の概略を聞くだけで、ほとんどの人が奥西勝さんが犯人ではないと感じるはずです。世間の事件に対する関心の低さが、こんな真犯人のわかりきった冤罪をそのまま放置してしまった理由の一つだと思います。ワイドショーなどでは、芸能人ゴシップ記事を解説するのに登場人物の相関関係をフリップに書いて説明しますが、同じように名張毒ぶどう酒事件のことも伝えていたら、少しなりともワイドショーの存在価値というものが垣間見えたのではないでしょうか。

名張毒ぶどう酒事件(Wikipedia)

名張ぶどう酒毒殺事件の真犯人は?

映画「眠る村」

名張毒ぶどう酒事件の真犯人、地域では暗黙の了解でバレバレ

冤罪とか人権とか、それぞれの立場によって気になる部分はあると思いますが、獄死した奥西勝さんが犯人ではなかったとしたら「犯人は別にいる」ということです。奥西勝さんを犯人扱いしたところで、それは変わりません。犯人として扱われることと、犯行を行った人であることには100万光年の開きがあります。つまり大量殺人事件の犯人は、塀の外で普通に生活している可能性が高いわけです。閉鎖されたコミュニティーで起こった事件です。外部犯による流しの犯行はまずありえない。 愉快犯が流通の段階でぶどう酒に毒を入れた可能性なんて、 水を張ったプールに一斉に部品を投げ入れたら偶然の偶然で腕時計が完璧に組みあがっていたというレベルのお話でしょう。(実行した)犯人が捕まっていないとしたら、実はじぶんのすぐ隣にいるかもしれない。こんな杜撰な捜査結果にみんな納得してしまって大丈夫なの?事件は再び起こらないと思っているの??正義感がいつでも優先されるなんて鼻くそほども思いませんが、次の事件の犠牲者にならない確信でもない限り犯人ではないひとを犯人扱いしたところで何の解決にもなっていないと思うんです。このあたりは、それぞれの立ち位置によって考え方や感じ方が異なるのだと思います。村人なのかそれ以外なのか。事件当時者なのか、第三者なのか。捜査をする側なのかされる側なのか。感情論にしても、死刑囚とされた奥西勝さんに同情する・警察のずさんな捜査に憤慨する・証言を好き放題に変えた村人に対し薄気味悪さを感じる・真犯人が野放しで天寿を全うするであろうことに怒りを覚える・・・などなど。いまネットで拾い集められる情報レベルで考えても、奥西勝さんを犯人とするのは無理があります。事件は、ぶどう酒に毒が入れられたことによる大量殺人。そのぶどう酒を購入してふるまうことを決めたのは当日になってから(奥西勝さんはぶどう酒を買っているのさえ知らない)。毒を入れられたぶどう酒の購入を決めた人も買ってきた人もはっきりしている。当然、それは犯人とされた奥西勝さんではない・・・。「犯人はヤス!」の例の事件よりも、斜め上をいく推理をしないと奥西勝さんのせいにはできないでしょう。昔の警察って、推理小説の1冊も読んだことがない人たちの集まりなんでしょうか。IQがめちゃくちゃ低めのメンバー構成なのかもしれません。動機から探そうとか、コロコロ変化するあてにならない証言をあつめて犯人像を組むから変になるんですよ。合理的で矛盾のない推理ができないのでしょうね。想像力の欠片もないのは、とってもあたまが不自由なんだと思います。・・・ちょっとじぶんの思い入れが強い事件だけに、暑苦しくなってしまいました(すみません)。

こんな真犯人のわかりきった事件がいつまでも解決しないのはなぜだろうとネットで記事を読み漁っていた時期に、かの方が新聞の取材を受けた際の記事をみたことがあります。ご本人様の写真も拝見しました。いまはネットにはないようですが、本当に驚きました。奥西さんの再審請求が棄却されたことに対するコメントもありました。

「日本の裁判所は正しい判断を下した。事件後、住民が徹底的に調べられ勝しかいないと確定したから今回の取り消しは確信していた」「勝は生きたいために無実を訴えているだけ。何度やっても同じこと」

ひどい話ですが、このコメントを記事にした新聞社も新聞社だと思います。それとも、後世にヒントを残すために支離滅裂な記事を載せたのでしょうか。単なる取材不足ってオチではないと思いたいですが、新聞に書いてある記事のすべてが綿密な取材の基に作られているわけではありません。出向中にある大手新聞社からの電話で、(ネットに公表しているPDFの公開資料の拾い読みもする気もない様子で)「かいつまんで説明してくれ」なんて電話を受けたことがあります。なんの予備知識もない方にかいつまんで説明したとしても正確に理解して記事にすることはできないでしょう。じぶんの書きたい方向に都合が良い解釈をして、取材の結果~とのたまうのがせいぜいです。じぶんは出向に出され、(電話でのお問い合わせに回答をするため)毎日仕事を終わって23時に帰宅、それから2時過ぎまで資料を読み込む生活をしてました。最後は大体、体力が尽きて寝落ちして朝が来る感じでしたが、そんな生活を2か月しました。お手軽に聞き取り、綿密な調査をした「ふり」をして、もっともらしく話を膨らませてお上手に書く(こともある)のが新聞というものです。

※ 取り扱いの概略だけならさらっと資料を読めば理解できます。質問に対してまっとうに回答をするレベルを追及すると・・・超絶にめんどくさいのです。しかし、新聞の記事にしようとする輩が(できるだけわかりやすくをコンセプトに)公開されている規程を見ることを面倒くさがるのは不誠実ではないでしょうか。チャリンちゃりん商売は長くは続きませんよ、本当に。

司法は死に待ち・・・それが正義か?

真犯人逮捕まではできなくても、冤罪とわかりきっているはずの奥西勝さんの無罪判決ひとつ出せなかった日本の司法は怖いなぁ・・・と。司法試験に合格する人たちが優秀なのは疑うべくもないと思うんです。それなのに何でこんな茶番が起きるのかというパラドクス。ついには、死刑囚としたまま再審請求を棄却し続けて時間切れ(死に待ち)狙い。そこには正義の欠片もないですよ。ちなみにこれまで、時にミステリーで使われる「登場人物(村人)が全員犯人」ってストーリーは駄作だと思っていたのですが、リアルでは全くないわけではないです、たぶん。この地区の村人の証言の変化、奥西勝さんのご家族への対応の変化(最初、村全体で支えていく話でまとまったのが、犯行を否認した途端嫌がらせをはじめるなど)すごく薄気味悪いです。生贄として罪を被ったんだから村人で支えようって寝ぼけたお話も、奥西勝さんの犯行否認によって吹き飛んだってことです。

もし、読者の皆様がそういう罠に嵌められたと思った時は「独勉どっとこむ」へご連絡ください。大してお役に立てないかもしれませんが、このブログは世間で話題となっている様々な事件に対して「ちょっとだけ首を突っ込んだり突っ込まなかったりする」ブログです。ミステリーマニアの管理人がじっちゃんの名に懸けてネットで拾い集めた情報をうだうだとブログで書き綴ります。

※ 祖父は、戦時中は軍艦に乗っていたそうです。戦後は稲作の他、鶏を飼ったり、乳牛を飼ったりしておりました。従妹は祖父の命名であやうく「早苗」という田植え機と同じ名前になりそうになりましたが、祖母をはじめとして周囲が大反対したので違う名前になりました。田植え機は「さなえ」という製品名になります。

ここまで書いてしまったので、推理の残骸を・・・。

奥西勝さんは当初、取り調べのなかで、この事件で亡くなった愛人のことを隠していた。そのため警察はそれが判明すると厳しく奥西さんを追求するようになり、奥西さんは「自分の妻がやったのではないか」と言うようになった。←こんな情報をネットで見つけました。奥西さんの不運は、このあたりから始まっているのだろうなと。普通に考えて、奥西勝さんの妻には犯行を実行するための必要な要素が足りていない。まず第一に「ぶどう酒どうするのよ問題」があります。ぶどう酒は予算不足で出さないことが前の会議で決まっていた。それを事件当日になって急遽、用意することが決まった。計画的な犯行を考えるなら当日は用意されないはずのぶどう酒に毒を入れるなんてまず無理。突発的な犯行にしても、その毒を飲んで死んでるのに疑問が残る。じぶんで毒を入れたのならちょっとだけ口に含んで、毒は飲んだけど運よく助かったってポジションを確保する方が合理的。保険金を残すために事故を装って自殺するとかじゃなんだからさ。

奥西勝さんのわきが甘いところかもしれません。(なくなった)自分の妻がやったのではないか?という供述は、生きている人を名指しするより気が咎めないというレベルだったのではないでしょうか。おそらく大して深い考えもなく主張していたのでしょう。そんな馬鹿なと言うなかれ。今時の戦隊シリーズ(特撮)を見ていても、昔のモノとはストーリーも人間関係も遥かに複雑です。子供向け番組であってもそれが普通です。時代が進めば進むほど、ひとは大量の情報の中で生きていくことになります。事件があった1961年(昭和36年)なんて、現代から比べれば原始時代みたいなものでしょう。スマホはおろかインターネットだってない時代です。そんな原始時代に、手元にある情報から必要なものを取捨選択して推理を行い、なおかつ真実にたどり着くなんてよほど洞察力にすぐれた人でなければ無理でしょう。もし管理人が三重県のど田舎で1961年に村人Aをやっていたらきっと、わからないこと・できないことだらけでしょう。今みたいにちょっと調べれば解説動画を見られたりもしないだろうし。そもそも、質問をしても体系的に伝えられる人って少ない気がする。ちょっと気になったことはGoogle先生に聞けば良いって時代ではないのです。


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